『コロンビアの素顔』 (かまくら春秋社) 寺澤 辰麿 著

  • 2016.10.18 Tuesday
  • 22:12

コロンビアの素顔』 (かまくら春秋社)

 寺澤 辰麿 著

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   コロンビアを知る貴重な本

 

 

著者の寺澤は元財務官僚で、2007年から2010年までは在コロンビア大使でした。
寺澤はコロンビアを他のラテンアメリカ諸国と異なる存在とし、
知られざるコロンビアの姿を描き出すことに努めています。

先頃、コロンビアのサントス大統領がノーベル平和賞を受賞したので、
ちょうどコロンビアへの関心も高まっているところです。
(平和賞は左翼ゲリラFARC(コロンビア革命軍)との和解についてなので、
この問題に関しては寺澤の前著『ビオレンシアの政治社会史』を読む方がよいでしょう)

書名には「素顔」とありますが、現地人の生活を対象としたものではなく、
元官僚らしく行政と経済に関する堅い内容でした。
情報は充実しているのですが、読み易さには少し欠けている印象です。

地理や歴史について軽くふれたあと、政治体制と社会構造、経済政策の話になります。
寺澤が強調するのはコロンビアに軍事独裁体制がほとんど誕生しなかったということです。
自由党と保守党の二大政党制が長く続き、1991年憲法でそれが解体されましたが、
コロンビアには専制政治への拒否感や言論の自由が強く働いてきました。
ウリベ大統領の3選が妨げられたことにもそれがよく現れています。
(対して日本では自民党総裁の任期が3期9年に伸ばす案が浮上しています)

また、経済面ではハイパーインフレや通貨危機を経験していないのが強みです。
コロンビア経済が適切に増税を行い、ポピュリズムと縁がないことが大きいのですが、
その原因を寺澤は縁故政治とインテリ主導の官僚制、労働運動の弱さ、言論の自由に求めています。
新自由主義にも対応し、資源にも期待ができるため、
寺澤は投資の対象として経済的に安定したコロンビアを薦めています。

年金や社会保障についても興味深く読みました。
ただ、一般の人々の生活についてイメージできる記述に乏しいのと、
周辺国との関係性についての記述がなかったのが残念でした。
全体に内容はかなり専門的で、観光程度の興味に応える本ではないような気がします。

 

 

 

評価:
寺澤 辰麿
かまくら春秋社
¥ 1,944
(2016-04-15)

『村上春樹はノーベル賞をとれるのか?』 (光文社新書) 川村 湊 著

  • 2016.10.13 Thursday
  • 22:07

『村上春樹はノーベル賞をとれるのか?』 (光文社新書)

  川村 湊 著 

 

     ⭐⭐⭐⭐

   「現状では難しい」が川村の評価

 

 

村上春樹がノーベル文学賞を受賞するかどうか、
最近は毎年のようにマスコミが大騒ぎしています。
川村はあとがきで「日頃、文学のことなど何の関心も持たないようなマスコミが、
この時だけ隊列を組んで、報道合戦を繰り広げる」ことを、
「ノーベル賞狂騒曲」と表現し、「目に余る」としています。

「ノーベル賞のことを知らずして騒ぎ立てるマスコミ人があまりにも多い」
というのは、川村だけでなく「世界文学」を愛する人々の実感だと思います。
大江健三郎が候補だと言われていた時はこれほど騒いでいませんでした。
村上春樹だけ大騒ぎするのは、春樹ファン=文学ファンではないことを証明しています。
実際、僕の周囲の春樹ファンは重厚なノーベル文学賞作品など読んでいません。

本書でも触れていますが、
柄谷行人は最近亡くなった津島佑子がノーベル文学賞候補だったと言っています。
(もちろん、それが事実かどうか保証はありませんが、それは村上春樹も同じです)
川村は石牟礼道子の可能性にも触れています。(個人的には翻訳の問題で難しいと思いますが)
しかしマスコミは「文学」を読まない人でも読む作家でしか騒がないのです。
(これがノーベル文学賞への冒涜にあたることにも無自覚なのでしょう)

その意味で川村が本書を執筆した動機は理解できます。
ノーベル文学賞で騒ぐなら「世界文学」をもっと知ってほしいという気持ちがあるのでしょう。

書名を見たときに「また村上春樹に乗っかって商売してる奴がいる」と感じましたが、
内容のほとんどは過去のノーベル文学賞作家や作品の紹介と選考の裏事情です。
実際は「ノーベル文学賞」という書名で出すべき内容だと思いますが、
どうせ出版社が村上春樹の名前を使いたがったのでしょうね。
(文芸評論家という仕事はもはや村上春樹におんぶしないと仕事がないこともわかりました)

川村はさすがに世界文学をひろく読んでいます。
過去のノーベル文学賞はもちろん、
これから受賞する可能性がある各地域の著名作家への目配りもしっかりしています。
高行健(ガオ・シンジェン)を『霊山』でなく『ある男の聖書』で評価するあたりも納得でした。
僕の知らない作家も多く紹介されていて、「世界文学」の良質なブックガイドにもなります。
巻末のノーベル文学賞歴代受賞者年表も役立ちます。

ただ、川端康成がノーベル文学賞の重圧で自殺したという推測だけは見識を疑いました。
ノーベル賞や金メダルの重圧で自殺した学者やスポーツ選手がいたでしょうか?
川端文学において生死の境の曖昧さは疑いようのない特徴ですし、
ノーベル文学賞受賞後の映像を見ても、冷淡な川端に対し三島の方が喜んでいます。
「弔辞の名人」と言われた川端が、親しい人々のいる死の世界に惹かれていたのは自然です。
本気ではないとしても、文芸評論家ならばそのような卑俗な発言は慎むべきでしょう。

さて、書名でもある村上春樹のノーベル文学賞受賞の可能性についてですが、
川村は現状では難しいと思っているようです。
詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、端的に言えば社会性に乏しい内容では難しいということです。
福島原発の問題でも描けば可能性があるという感じでした。
しかし『1Q84』がロマンスに収束し、社会問題を描く力がないことを証明してしまっただけに、
その期待が現実的かといえば怪しいという気がします。
また、川村が言うように過去の受賞者の発言力が影響するなら、
大江健三郎が村上春樹を認めていないのも大きな減点になるかもしれません。

それでも川村が村上春樹に好意的な批評家であることは伝わってきます。
村上春樹に対する評価の端々に「甘さ」が感じられるからです。
同世代であるがゆえの共感があるのかもしれません。

僕は村上春樹のようなアメリカべったりの大衆的な作家が、
ヨーロッパ知識人色の強いノーベル文学賞の傾向に合うとは思えないのですが、
川村がその部分に触れないことも意図的な「甘さ」に思えました。

それにしても、内容以上に賞で評価を云々する人というのはどうにかならないのでしょうか。
自分にとって作品が素晴らしければ、それだけで価値があると思うのですが。

 

 

 

『民主主義の内なる敵』 (みすず書房) ツヴェタン・トドロフ 著

  • 2016.10.09 Sunday
  • 08:57

『民主主義の内なる敵』 (みすず書房)

  ツヴェタン・トドロフ 著

 

   ⭐⭐⭐

   民主主義の「行き過ぎ」が招く危機

 

 

ロラン・バルトの弟子筋にあたるツヴェタン・トドロフはブルガリアの生まれで、
共産主義国家の問題を身をもって体験し民主主義の価値をよく知る人物ですが、
そんな彼が民主主義の「行き過ぎ(デムジュール)」に警鐘を鳴らしています。

トドロフの専門は記号論であるはずなので、
本書に専門的な視点による難解さはありませんが、
視野がヨーロッパに偏っているため、
具体的事例などが僕にはついていきにくいところがありました。

トドロフが挙げる民主主義の内なる敵という言い方をしているのは、
ナチスや共産主義などの民主主義外部のわかりやすい敵がなくなったため、
民主主義の敵は民主主義自身の「行き過ぎ」にあるとするからです。
具体的に言えば、それはポピュリズム、ウルトラ自由主義、メシア信仰です。

政治的なメシア信仰、個人の専横、新自由主義、ポピュリズムと外国人嫌いに
それぞれ一章が割かれて詳細な説明がなされていますが、
正直に言うと、あまり最初の結論を深めるほどの内容を感じませんでした。
良く言えば妥当ですし、悪く言えばわかりきったことを言っている印象でした。

特に「行き過ぎ」に対する有効な処方箋が民主主義の再生、見直しという
非常に抽象的なもので終わっていることには物足りなさを感じました。
「政治的なメシア信仰」の章はいまだに共産主義批判をやっているという感じで、
マルクス主義が差異を消滅させるとか、
諸国家が道徳と正義の名のもとに己の利益を追求したとか、
差異の称揚と道徳批判といういかにもフランス現代思想的な結論を確認しただけに思えました。

結果として本書は民主主義の内なる敵を描きえているというよりは、
リベラル思想の機能不全を印象づけています。
トドロフは民主主義の「行き過ぎ」を問題視する一方で、
民主主義体制の中で生きることは他の体制よりも良いと述べます。

相対的に見れば悪くない体制が、徐々に内側から蝕まれていくことに対して、
われわれは打つ手もなくジレンマを感じているしかないのでしょうか。
それを打開するヒントを僕は本書に見つけられませんでした。

 

 

 

評価:
ツヴェタン・トドロフ
みすず書房
¥ 4,860
(2016-07-26)

『近現代詩歌 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集29)』 (河出書房新社) 池澤 夏樹/穂村 弘/小澤 實 著

  • 2016.10.09 Sunday
  • 08:32

『近現代詩歌 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集29)』 (河出書房新社)

  池澤 夏樹/穂村 弘/小澤 實  著

   ⭐⭐

   個人編集とは個人的編集という意味?

 

 

近現代日本の代表的な詩と短歌と俳句をまとめた一冊です。
それぞれ詩は池澤夏樹、短歌は穂村弘、俳句は小澤實が選んでいます。

一冊で重要な詩人、歌人、俳人をおさえることができるのは魅力的ですが、
この一冊にある程度の網羅性が要求されるため、
誰のどの作品を選ぶかということについては、苦労があったと思います。

人によっては「なぜ宮沢賢治や吉増剛造の詩が入ってないのか」とか、
「鶴見俊輔って詩人なの?」とか、
「加藤郁乎を入れてほしかった」(これは僕個人の要望ですが)とか、
本書のラインナップに対していろいろな意見があるのは避けられないでしょうが、
それを含めてこのような本の楽しみだと僕は思っています。

しかし、僕が本書を買う気が起こらなかったのは、
選ばれた詩の中に池澤夏樹自身の詩と父の福永武彦の詩がしれっと入っていたためです。
本書は池澤夏樹の「個人編集」となっていますが、
それって個人の責任で編集しているという意味ですよね?
個人的な事情での編集という意味ではありませんよね?

僕個人は福永武彦の小説は好きですし(レビューも書いてます)、
学生時代に読みあさって全集所収の詩も読みました。
しかし、ここに選ぶような詩人であるかどうかについては疑問が残ります。
まして、池澤夏樹本人に関しては選ばれるに「ふさわしくない」と感じます。
(池澤夏樹の代表作など思いつきませんし、詩を書いていたことも知りませんでした)

穂村弘や小澤實が自身を選ぶのなら納得できるところがありますが、
その二人が自分を選んでいないにもかかわらず、
池澤夏樹が自分の詩を選ぶのはどうにも納得できません。
僕には池澤が編集者という権限を私物化したようにしか思えませんでした。

穂村や小澤がそのようなことをしないのに、池澤だけがそういうことをするのは、
詩が「他人の畑」だから踏み荒らしても構わないとでも思っているからでしょうか。
河出書房もこのようなことを容認すべきではなかったと思います。

 

 

 

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