『荒東雑詩―高山れおな句集』(沖積社) 高山 れおな 著

  • 2014.06.08 Sunday
  • 07:11

『荒東雑詩―高山れおな句集』(沖積社)

  高山 れおな 著 

 

   ⭐

   前衛俳句は現代詩の夢を見るか?

 

 

『ウルトラ』に続く高山れおなの第二句集である。

書名の荒東は荒川の東の地を意味する造語で、
高山自身の生活空間と重なるようだ。

この句集の大きな特徴に、
すべての句に前書が付されていることがある。
前書はその句がどんな状況で詠まれたかを記録するもので、
通例はきわめて簡素な文であるが、
高山が記す前書はそれにとどまらない。

  切支丹の跡を訪ねて生月、平戸、外海、長崎、五島を廻つた。
  車を降りるたびに草の匂ひ、うぐひすの声、虻の唸り。
  僕たちは煙草を吸った。それから仕事をはじめた。

 老鶯やしろがね炎ゆる昼の海

これは句を詠んだ状況を書いた前書なので、
通例の前書の延長にあると言える。
それにしても長すぎる。
参考までに加藤楸邨から前書つきの一句を取り出そう。

  秋櫻子先生と亡師太古先生の墓に詣づ、追憶胸に満つ、その夜

 太古忌の蕎麦綴る夜ぞ霜いたる

これでも楸邨の前書としては長い方である。
高山の前書はこのような前書とは異質である。

通例の前書は句の抒情を引き立てるための役割を果たす。
読者に抒情を起こさせるのは、あくまで句単体である。
そのため、前書は意図して簡素でなければならない。

しかし、高山はすでに前書の中で抒情をはたらかせている。
その上で付録のように句をつけていく。
これが句の抒情を間延びしたものに貶め、
印象を拡散する結果を引き起こしている。

前書が短歌になっているものも多い。

  〈短小へ詩を駆りたてし力ありてなほ蜜雲の如くおほへる〉

 春蝉や剣舞のましらも深きより

当然高山は前書の短歌とあとの俳句を関連させて読むことを意図している。
それでも私には、短歌はともかく俳句がどう関連するのかわからない。
ましらは猿であろうが、剣舞は猿が踊ったという念仏踊りなのか不明である。
このように、単体で出されるよりも読む苦労が多く、
たとえ前書の抒情に心動かされても、俳句によって煙に巻かれてしまう。

  〈庭燎の庭をめぐれる妻はそのむかし夢に犯せし女ならずや〉

 一卓の雲丹づくしなる攘夷論

かがり火に見る妻の姿が夢で関係した女に重なる。
ウニ一色の贅沢づくしも、それが輸入物であれば攘夷論が必要だ。
別々ではそう味わうことができるが、両者を関連させるのは大変だ。
前書にある同一性への強迫観念を、俳句では笑い飛ばしたということだろうか。

高山本人はどこかで自分の句集の特徴を、
現実状況に即して作られる「機会詩」的なものと説明していたが、
そもそも俳句とは機会詩的なものである。
その実現が目的なら、わざわざ長い前書をつける必要があろうはずがない。

だから山口優夢は前書の必要性に疑義を呈していた。
しかし、私には高山が前書を必要とした理由が想像できる。
彼は参照すべきプレテクスト(元ネタ)がないと句が作れないのである。

第三句集の『俳諧曾我』においても顕著だが、
高山は元ネタに依存する形で句作をすることを好む。
たしかに俳句は間テクスト的な性質を強く持ち、
歴史的にも和歌や漢詩をプレテクストとしていたのは事実だ。

しかし、高山のプレテクストへの執着には、
芭蕉が杜甫を、蕪村が王朝典雅をプレテクストとするのとは、
まったく別の動機が感じられる。

それは、読者に対して優位な立ち位置を確保しようという欲望である。
参照先があることをにおわせながら、
それは明示されず、接近することに困難が伴う。
読者は句を前にして、すでにハンデを背負っている。

高山は句を無防備に提出して、
読者と同等の位置に立つのが嫌なのだ。
それで、プレテクストを参照しないといけない句を作りたがる。

作句の状況が詳しく書かれれば書かれるほど、
そのあとの俳句はその状況をふまえずに読めなくなる。
しかし、その状況に一番通じているのは居合わせた高山本人であろう。
われわれ読者が句をどう解釈しようとも、
高山はその名の通り高い山から見物ができるのである。

この句集の感想を探すと、
高山の教養や博学を讃える評が多いが、
おそらく彼らも本気で高山の知性に感心はしていない。
それどころか、彼の句に素直に感動した者はいないのではないか。

『荒東雑詩』の句は読者に奉仕するものではない。
ただ作者に奉仕するだけだ。
作者に知的風貌や詩的風貌をまとわせるための私語である(もちろん詩語ではない)。
その自意識と自己愛が生み出した模造物には唖然とするほかない。

私はウェブで福田若之が高山の句を批評した文を見たことがあるが、
そのコメント欄で高山は福田の批評を正し、自ら講釈をたれていた。
自分が自分の句の最大の理解者であると思っている人が書くものなど、
読む気がそがれるのは言うまでもない。

本書には筆者の住む地域に焦点を当てた「西葛西地誌」のシリーズがある。
これも筆者のホームグラウンドであることを忘れてはならない。

高山は自身を「麿」という一人称で表現するが、
この時代錯誤な人称も、自己と読者の立ち位置を等しくしない工夫である。
これはアイロニーですらない。
単にナルシシズムを表明する人称である。

  西葛西地誌 その二十五 主婦たち
  筑波嶺の峰から落ちるみなの川のやうに流れ流れて(日常の細部を
  失なつて)、珈琲がぶ飲みしながら対象を欠いた言葉の戯れに耽つた
  ために暗黒の淵(直径五m)みたく沈んでしまつたことであるよ。

 麿、変?

日常性を欠いて宙に浮いた言葉をつむぐ私は変でしょうか?
と、一見謙虚にも見える書き方だが、
「筑波嶺の〜」の元ネタは陽成院の歌である。
陽成院は奇行によって天皇を退位させられた人物であり、
それになぞらえられる麿は変でなくては高貴ではありえない。
(ストレートに書いたら中二病と言われそう!)

ここで「麿」と対照される「主婦たち」は、
明確な対象を持った言葉で日常の細部を描く、
日々雑感的な俳句を作る人々を暗示している。
それに対する「麿、変?」は、高山の前衛宣言であるのだろう。

しかし、人より上の立ち位置を確保しながら、
私が変かと尋ねるのはおそるべき傲慢である。
俳句の韻律を極小にしておいて、
そこで語られるのがやはり自己像でしかないことが、
いかにも高山れおなであると言うしかない。

水仙や鏡に見えぬ腹ぼくろ
(私は俳句をやらないので、これは俳句ではない)

 

 

 

『金融史の真実: 資本システムの一〇〇〇年』 (ちくま新書) 倉都 康行 著

  • 2014.06.05 Thursday
  • 07:05

『金融史の真実: 資本システムの一〇〇〇年』

  (ちくま新書)

  倉都 康行 著

   ⭐⭐⭐

   金融史から現代の危機を考える

 

 

題名はいかにも金融史の本という感じですが、
それは第1部だけで、あとの2部は現在の資本システムの考察です。

筆者は金融史を大きく民間資本と公有化の交代と捉え、
現在を第三期公有化の時代と位置づけます。

金融機関への公的資金投入、住宅金融の国有化などに加え、
量的緩和への依存も公有化の特徴となります。

資本システムは金融危機を乗り越えることで強化されてきた、
というのが倉都の見方です。
ナシム・タレブの主張する「アンチ・フラジャイル」と同様に
システムを鍛えるには危機がそれなりには必要だとし、
景気低迷を嫌う成長主義や過剰なリスク管理が、
逆に資本システムを脆弱にしていると言います。

つまりは民間資本がリスクを計算して金融資本を運用するのが、
あるべき姿だということなのでしょう。

その意味で、倉都の懸念は先進国(特に日本)の国債にあるようです。
国債の購入がもはやエンドレスなゲームと化している現在、
人々の危機意識も麻痺しかけていますが、
依然として国債市場の混乱が大きなリスクであるのは間違いありません。

それに対する秘策として、
国債償却案や金融抑圧案や国債のエクイティ化(返済期限なし)が紹介されますが、
現実性に乏しいという結論でしかありませんでした。

結局、金融史1000年を概観した倉都の結論は、
ここまで無防備に積み上げた負債の修復コストは払わざるを得ない、
という苦いものでした。

残念ながら僕にも妥当な結論に映ります。

 

 

 

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