『君に目があり見開かれ』 (港の人) 佐藤 文香 著

  • 2014.12.30 Tuesday
  • 18:09

『君に目があり見開かれ』 (港の人)

  佐藤 文香 著

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   蜜月なきレンアイ句集

 

 

佐藤はマンガの監修や女性誌などでの活躍が目立つ俳人だ。
ポップな俳句にはあまりいい印象がなかったので、
この句集にも期待していなかったが、価格が安いので購入してみた。

思いのほか内容は充実していた。
しっかり句が厳選されているのか、ポップで軽薄な印象はなく、
よく目配りの利いたバランスの良い句集だった。
旧仮名、現代仮名遣いといろいろやるわりに、
無理なくうまく処理できてしまうのが優等生的で心憎い。

俳句を現代的にしようとするあまり、
前衛を気取って自意識系の句を作る人も少なくないが、
佐藤は「レンアイ句集」と銘打ちながら、
つまらない自意識が表面化することに禁欲的である。

俳句とは形式だと思いすぎると、
主体を遠ざけるわりに自意識を表面化させる貧しい句を書きがちだ。
佐藤の句はしっかりした実体験を背後に感じさせながら、
もとの体験そのものに着地させずに、
俳句としての体験を味わわせることに成功している。

 電球や柿むくときに声が出て
 今日の手をあつめてすすぐ月の庭
 ゆふぐれの蜂蜜ごしに濃き夕日

俳句をやらない私には、
難しい季語が少ないこともありがたい。
あえて距離感を出すために季語を用いたりせず、
句の中に違和感なく収まる季語を選択しているからかもしれない。

 手紙即愛の時代の燕かな
 末黒野へ罫線入りの紙飛行機
 たんぽぽを活けて一部屋だけの家
 夏蜜柑のぼりきれば坂ぜんぶ見える

「レンアイ句集」と言うからには多くは恋愛の句であるのだろうが、
あまり恋愛を意識せずに読めるのが不思議だ。
(もちろん、いかにも恋愛の句というものもあるが、
そういうものはほとんど良い句ではなかった)
そもそも俳句と恋愛はそれほど親しいものではない気がするので、
意識せずに読める句でなくてはいけないのかもしれない。

だから、とりたてて「レンアイ句集」などと名乗らなくてもよかったはずだが、
そう名付けたいくらい恋に身を焦がしたということなのか。
ただ「レンアイ」とカタカナで書くところに、
恋の甘さにベッタリできない何かが感じられないこともない。

佐藤の俳句に対するスタンスにも、
それと同じようにベッタリできない何かがあるように思える。
俳句に付きすぎず、離れすぎない。

付きすぎず、離れすぎない。
それは俳句を支える要素のひとつでもある。

伝統的形式というのはとかく甘えを誘発しがちだが、
そんな母性的な魅力に抵抗できない若手の男たちに比べて、
佐藤は俳句を信じすぎてはいないのだろう。
それが彼女を俳句の外の世界へと接合させているのかわからないが、
それが作句において良い方向に働いているのは、なによりだと思った。

 

 

 

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