『丸山眞男の敗北』 (講談社選書メチエ) 伊東 祐吏 著

  • 2016.12.07 Wednesday
  • 09:06

『丸山眞男の敗北』 (講談社選書メチエ)

  伊東 祐吏 著 

 

   ⭐⭐⭐

   問題意識の欠けた丸山眞男論

 

 

著者の伊東は1974年生まれで僕と近い年齢なので、
丸山眞男の活躍を同時代人として体感していない世代です。
だからこそ丸山を背景となる時代の中で理解することが欠かせません。
伊東は丸山の仕事を、戦中期、敗戦〜1950年、1955〜1960年、1955〜1960年、それ以後と時代区分をして、
丸山の思想の全体像を描き出していきます。

冒頭で伊東は丸山の哲学の特色を「相対の哲学」とまとめています。
「相対の哲学」とは社会が現在進もうとする方向を修正するために、
わざとそれと逆方向の議論をぶつけるというやり方のことです。
舟が右に傾いたら、バランスをとるためにわざと左に傾けようとする方法という感じでしょうか。

本来進むべき方向を愚直に説き続けるのではなく、
わざわざ行き過ぎた逆向きの議論をぶつけるというやり方は、
ナルシシズムに惑溺して一定方向に振れてしまいがちな日本社会への対処として考えられたものでしょう。
これは社会の逆風の中で仕事をしたものにしかわからない感覚です。
実際、丸山は投獄された経験もありました。
戦時中の東大法学部への弾圧についても本書に書かれています。

伊東は戦時中の丸山が「近代の超克」から「近代化の不徹底」へと転向したと述べています。
「転向」という語は近代文学においては権力に屈していく場面で使われるので、
体制批判を意図した「近代化の不徹底」を「転向」と表現することに、
僕個人としては違和感がありますが、
初期論文を丁寧に読み込んでいることには好感が持てました。

丸山が兵士にとられて広島で被爆した経験をもち、
それがその後の生涯に影を落としたことについては、
本書を読むまでよく認識していませんでした。

伊東は敗戦から1950年までを丸山の〈第一期〉とし、
「主体性」「ファシズム研究」「政治学」の3つのテーマに整理します。
丸山は福沢諭吉を援用し、国家と国民がバランスの取れた両輪であるためには、
国民の側の主体性の成熟が必要だと説きました。
伊東は丸山の説く「主体性」を理想状態をめざす「やる気」のようなものとし、
個人と国家の関係において語られるものが多いとします。
それが戦時中の国家偏重の価値観への反省であることは明確だと思うのですが、
どうにも伊東は戦時体制の批判に関わる部分には及び腰であるように思えました。
そのため、丸山の「主体性」についても輪郭が曖昧になっています。
「超国家主義の論理と心理」論文の内容に踏み込まない点にも不満が残ります。
(今のご時世で踏み込みたくない気持ちはわかりますが、丸山眞男の「敗北」とまで言うのなら、
後世というメタ視点に安住せずに伊東も同時代と戦うべきではないでしょうか)

このように「主体性」という言葉は国家偏重の価値観を正すために持ち出された面があったわけですが、
国内の戦後史も知らないフランス思想の研究者が、安直に主体性批判を語るのは教養の崩壊(とオタク化)を示しています。
日本の戦後思想も知らずに西洋思想だけを読んで、自分が教養人だと勘違いする輩が増えたことと、
国家偏重の価値観が復活していることは無関係ではないと思います。

1950年以降、丸山は結核に悩まされることになります。
その影響が丸山に政治学との決別を迫ったと伊東は見ます。
丸山は日本思想史の研究へと移行し、思考様式の改革を目指したのです。
有名な「日本の思想」(1957)や「忠誠と反逆」(1960)はこの時期に執筆されたものです。
60年安保闘争が盛り上がると、丸山の名が世間に広く知られるようになるわけですが、
皮肉にもこの時期に丸山は政治学から離れていたと伊東は言います。

その後の丸山は日本思想史研究へと沈潜していきます。
「歴史意識の『古層』」(1972)は60年代の研究のまとめとして発表されました。
「古層」論のキーワードに「執拗低音」というものがありますが、
楽譜まで持ち出してこの語の説明をしてくれたのは伊東が初めてです。

伊東は丸山が「日本には思想がない」と言っていることに対して、
「いささか節度を欠いている」と批判的です。
養老孟司が「無思想の思想」と呼ぶような「ゼロの思想」を日本思想史家が考慮しないことを問題視します。
伊東自身は日本は無思想の状態と思想にナルシスティックに憑かれる状態が、
ハレとケのようにセットとなっていると主張し、
そう捉えない「丸山眞男の日本思想史は失格している」と断じています。

しかし、丸山が言う「思想」とは西洋的な体系思想のことなので、
「無思想」を思想として捉えていないのは当然だと僕は考えます。
(それは「ササラ」と「タコツボ」の比較からも明快です)
丸山の思想の捉え方が西洋的だという批判はありうると思いますが、
無思想と思想憑きがセットになるという発想自体、
日本人のナルシシズムを保存する発想でしかないので、
それを基礎として日本を論じろという要求は酷だと思います。

このような点から、伊東は丸山の論文をよく読み込んでいるとは思いますが、
丸山の精神を十分に理解できているようには感じられませんでした。
丸山が感じた日本人のナルシシズムへの危機意識を伊東は全く共有していないのですから、
どんなに論文を読んでも表層的な理解にとどまるわけです。
(思想というのはお勉強がデキることとは全く違うのです)

そのため、最終結論で丸山眞男の「敗北」をやすやすと語ることになります。
伊東は丸山の思想には戦時中に失った人々という「死者」の存在があるとします。
その点で死者を利用した非常時の思想であって、日常に戻れば忘れられるものでしかなかったと述べます。
伊東は丸山と比較するために詩人の石原吉郎を持ち出しますが、
さて、石原が丸山以上に現在忘れられない存在になっているでしょうか?
日本人のナルシスティックな体質を改善するためには、
死者を利用する形で思想を展開する必要があったことに伊東は気づきません。

丸山が問題視した日本人のナルシシズムに対して批判的な視座を持たずに、
それを当然のものとして受け入れた姿勢で丸山眞男を研究することに、
何の意味があるのか、ということを非常に考えさせられる本でした。

 

 

 

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